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      <title>憧れをも抱く・・・</title>
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      <description>ウルトラマンもの、海外の気になるもの</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>ジャム　２</title>
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もともとジャムを作っていた会社だけでなく、菓子や果汁のメーカー、ホテル、レストラン等も競ってジャム作りに参入してきました。


もっとも、下請けに作らせたものに自店のラベルを貼りつけた「手作り」も少なくないのですが・・・。


こういう現象が起きた背景には、従来の大量生産、低品質のジャムに不満をかこっていた消費者側の潜在需要があったことは事実ですが、それに乗ずるかのように、「手作りジャム」を粗製濫造しはじめた業者の側に、材料の点でも製法の点でも、ジャム作りをくみしやすしと見た認識があることも否定できないでしょう。
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         <pubDate>Sun, 22 Jan 2012 16:32:47 +0900</pubDate>
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         <title>ジャム　１</title>
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30年、40年前に比べると、ジャムの品質はずいぶん良くなりました。


その昔、CMC(合成糊料)を主材料とし、それを赤く着色して甘味をつけ合成保存料を加えたリンゴ・ジャム、屑リンゴを煮つぶしたものにイチゴの実を少し浮かべたようなイチゴ・ジャムが、ジャムとしてまかり通っていたことを考えると、業務用の世界は別として、市販されているジャムには、それほどひどい品物は見かけなくなったようです。


しかし、最近、あちこちで店頭を飾っている「手作りジャム」には「手作り」の名にふさわしくない製品を多く見かけます。


この種のジャムの氾濫は恐ろしいほどでした。

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         <pubDate>Tue, 20 Dec 2011 16:32:29 +0900</pubDate>
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         <title>職人は壁塗り職だけではない</title>
         <description>無位無官の職人は壁塗り職だけではありません。


特にかぎられた棟梁クラスの番匠はいざ知らず、一般の建築労務者はすべて無官で、もし『大言海』のいうとおりであれば、例えば桧皮工に対しスケ、鍛冶職に対してジョウ等、あらゆる職種に対して一時的に官名を与えなければならないことになります。


しかるに古今の各種資料を通じてそのような例は知られておらず、その中でひとり壁塗り職にかぎって「厨」と呼称させる必然性はどこにも見当らないのです。

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         <pubDate>Fri, 04 Nov 2011 17:49:09 +0900</pubDate>
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         <title>宮殿等の工事</title>
         <description>宮廷には無位無官の者を出入させることはできない。


しかしそれでは建築関係諸職も出入できず、宮殿等の工事が不可能になります。


それで工事期間に限って彼らに形式的にでも官位を与える必要があります。


その場合、壁塗は番匠(大工棟梁)・桧皮工(屋根職)・鍛冶に次いで常に四番目の位を授けられました。


ところで律令制の下では、一般に諸官司の長官をカミ、次官をスケ、その下をジョウ、さらにその下、すなわち四番目の官をサカン(木工寮の場合は尉の字を用いる)と呼んだので、壁塗をおのずからサカンと呼びならわし、これに左官の字を当てたというものです。


『大言海』がこの説を立てて以来、左官の語源を尋ねる最も有力な論として、現在ではこれがほぼ定着している感があります。


しかし少しく仔細に検討すれば、この説には幾つかの矛盾が見られます。
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         <pubDate>Sat, 08 Oct 2011 17:47:42 +0900</pubDate>
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         <title>占いの心理学</title>
         <description><![CDATA[ユンクは、パートナーとは別の人と対にして、対照群をっくり、古くからいわれている月の相が対照群よりも結婚カップル群の方にはるかに多く生じていることを見いだした。


それらの月の相は、女性の月が男性の太陽、月、上界宮と合の状態になっていました。


もっともはっきりした結果は、女性の月が男性の太陽と合の状態になっていることでした。


このことは、対照群ではわずか4.7%であったのに比べて、結婚カップル群では10%も生じていました。


これは確かに、それ自身では有意な差のある結果であるが、われわれは、ユンクが五十の相を分析したと主張していることを銘記しなければならない。


このように多数の可能性があれば、少数の明らかに有意な結果が生じても別に驚くことではない。


ユンクは自分が統計法を理解していないことを認めて、その部分だけを取り上げると、4.7%と10%との比較は有意であるが、全体的結果は有意でないことを彼に知らせた統計家の忠告を受けいれた。


ユンクは、この結果が正しいものか、単に偶然によるものかを調べる唯一の方法は、研究を反復することであることを認めた。


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         <pubDate>Fri, 23 Sep 2011 18:09:26 +0900</pubDate>
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         <title>新用語に統一</title>
         <description>変化が地方で早く中央で遅れることに、何らかの意味があるのかもしれないが、いまは詳かでない。


ともあれ、中央が新用語に統一されるのは寛永も末年(17世紀半)になってからで、その間は新旧両用語が併存しています。


そして中央で統一の見られる頃には、一般では和歌にまでうたいこまれるくらい、新用語が定着していました。


それ以降は、若干の例外はあっても(例えば、寛文10―1670年付の大和春日神社造営記録にはなお「壁塗」の名称が見られる)、「左官」は常に壁塗職を意味することになります。
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         <pubDate>Sat, 17 Sep 2011 17:47:18 +0900</pubDate>
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         <title>京都御所の壁工事</title>
         <description><![CDATA[京都御所の壁工事で、先の例とは別の寛永一九(1642)年3月から4月にかけて作成された四通の検地帳では、表題.職名ともすべて「左官」に統一され、その混乱にもようやく終止符がうたれています。


ここでいま一度、呼称の変化についてとりまとめておくとしましょう。


まず慶長初年までは平安中期に始まる<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>・壁大工等の名が通用し、サカンという言葉がその意味で使われたことはない。


左官が壁塗り職を意味するようになるのは慶長も後半(17世紀初)で、しかもそれは地方(宇都宮)で初見し、中央では元和初年、なお壁塗等の中世的呼称が公式に用いられていました。

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         <link>http://loadnet.net/2011/08/post_44.html</link>
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         <pubDate>Wed, 03 Aug 2011 17:47:03 +0900</pubDate>
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         <title>霊長類では作れない</title>
         <description><![CDATA[ビタミンCは植物でも動物でも作られていますが、不彰なことにサルや人などの霊長類では作れません。


ですから、ネコやイヌにはビタミンCや<a href="http://www.healthy-one.co.jp/online_shop/detailsfile/echinacea.html" target="_blank">エキナセア</a>は要りませんが、人間には必要なビタミンということになります。


ただ、魚や肉類には肝臓を除くと殆どビタミンCは含まれていません。


動物は必要なビタミンCを必要なだけ合成し利用しているので、体に貯める性質は持っていないといえます。


それで、人でも一日50ミリグラムと割合少ない疑でト分間に合っています。


というのは、サルが一日に食べる植物性食品由来のビタミンCは2～3ミリグラム位と多いのですが、サルも殆どは排泄してしまって貯めませんし、人もそんなにビタミンCを必要としていません。


人のビタミンCの90%は野菜と果物からで、野菜が全体の60%、果物が30%位を供給している計算になります。
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         <pubDate>Mon, 25 Jul 2011 13:16:23 +0900</pubDate>
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         <title>天才すぎる　６</title>
         <description>【ニクラウス・アウグスト・オットー】

「オットーのサイレント・エンジン」は製造開始後10年の問に3、000台以上も売られ、会社はこのエンジンを石油などの液体燃料で動くように改造する仕事に追われることになりました。


舶用エンジンも作られ、機関車用や路上走行用車両のためのエンジンの設計もはじめられました。


ニクラウス・オットーは引退して1891年1月26日、平穏のうちに死んだのです。


最初の実用内燃機関を作った功績はルノワールに相違ないが、これを現在のあらゆる内燃機関の原形にまで発展させたのは違大な技術者オットーです。


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         <pubDate>Sat, 16 Jul 2011 11:14:36 +0900</pubDate>
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         <title>かべぬり又兵衛</title>
         <description><![CDATA[慶長一六年亥12月3日付『禁中様女院之御所常御殿白壁坪数之帳』の表紙と、同18年己12月吉日付『禁中御位御所御作事手形案』の中には、それぞれ「かべぬり又兵衛」の名が見える。


なお右の四通を除く他の検地帳はすべて元和五年付、職名はすべて「かべや」または「壁や」で統一されています。


以上から、「かべぬり」・「かべ(壁)や」及び「さくわん」はすべて同義語として扱われており、時に応じて任意に使い分けられていたことが知られるでしょう。


幕府直轄工事における公文書においてすらこのありさまであれば、一般の混乱は推して知るべしです。


すなわち、この時期がその呼称のうえでも、<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>の過渡期であったことを如実に示しています。

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         <pubDate>Thu, 07 Jul 2011 17:45:57 +0900</pubDate>
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         <title>天才すぎる　５</title>
         <description>【ニクラウス・アウグスト・オットー】

彼の特許は2ストロークと4ストロークのどちらの動作にも使えるものだったがこれは争いの的になり、それ以前に何年もの間眠っていたボー・ド・ロシャの論文が発見されるに及んで、オットーの特許は1886年ついに無効とされました。


事実のところ、オットーがランゲンと出会った1862年の2年前、アルフォンス・ボー・ド・ロシャは4ストローク・サイクルの主な特徴について特許をとっていました。


けれどもどうやったらこのサイクルを実現させるかという実用的な提案はここには何ひとつ触れられていなかったそうです。


オットーがこの論文を知っていたかどうかは永遠に知るよしもありません。

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         <link>http://loadnet.net/2011/06/post_40.html</link>
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         <pubDate>Wed, 15 Jun 2011 11:14:24 +0900</pubDate>
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         <title>天才すぎる　４</title>
         <description>【ニクラウス・アウグスト・オットー】

オットーは技術面を離れてもっぱら経営面に従事し、技術面は2人の有能な新入社員マイバッハとダイムラーにまかせました。


彼の最初の4ストローク・エンジンから数えて15年ののち、オットーは他のタイプのエンジンを作って特許をとりました。


8馬力のこのエンジンの試運転を見た人はこういったそうです。


「このエンジンはたいそうエレガントに動作するので、もしこれを見守る天使がいたらきっと大喜びするに違いない」。


オットーの新形のエンジンは莫大な成功をおさめました。


それで他社は新しいアイディアを持ち込んでお金をかせぐ手立てを捜さなければならなくなったのでした。

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         <pubDate>Mon, 16 May 2011 11:14:13 +0900</pubDate>
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         <title>天才すぎる　３</title>
         <description>【ニクラウス・アウグスト・オットー】

1864年、幸運にもオットーは企業家オイゲン・ランゲンと知り合い、ランゲンは彼を援助して「ニクラウス・アウグスト・オットーと仲間」会社を設立しました。


彼の大気圧エンジンは1867年のパリ万国博覧会に出品され、フランス製の14台のガス・エンジンを押しのけて金賞を獲得し、次点のものに比べて3倍もの高い効率をもつことを示しました。


一時、工場を閉鎖するほどの財政危機を経験したあと、一段と増資をして1877年に新しい会社「ガス機関製作所」をケルンの近くに設立した。

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         <link>http://loadnet.net/2011/04/post_38.html</link>
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         <pubDate>Wed, 20 Apr 2011 11:14:02 +0900</pubDate>
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         <title>天才すぎる　２</title>
         <description>【ニクラウス・アウグスト・オットー】

13年たってオットーは余った時間と金をぜんぶ科学と技術の勉強につぎこみ、友達から「考える人」とあだ名されるほどでした。


1861年の終りごろまでにはオットーはとうとう4ストロークのエンジンを作り出しました。


彼は空気と燃料の混合物を上死点の付近で点火する前に十分圧縮することの大切さと、膨張、排気、吸入の行程のそれぞれの役割をよくわきまえていました。


残念なことにこのエンジンは爆発があまり強烈で使いものにならなかったのです。


そこで彼はルノワール形の大気圧ガス機関へと方向転換をしました。

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         <pubDate>Mon, 14 Mar 2011 11:13:50 +0900</pubDate>
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         <title>天才すぎる　１</title>
         <description>【ニクラウス・アウグスト・オットー】

はずかしがり屋で引っ込み思案の性格で、商人兼農夫兼郵便局長の息子は、ある日新聞ですばらしい新形のエンジンがエチアンヌ・ルノワールによって作られたという記事を読んだ。


彼は激しく興奮して、古風な蒸気機関にとって代わろうとしているエンジンに生涯を賭けようと直ちに決心しました。


この青年がニクラウス・アウグスト・オットーです。


彼はドイツのナッサウにあるホルツハウスの小さな村に生まれました。


16歳で学校を出たとき、自分では科学と技術の方面に進みたかったのに両親は彼を商業の途につかせました。

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         <pubDate>Wed, 16 Feb 2011 11:13:36 +0900</pubDate>
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